感情の墓場

一度感情を言葉にしてしまえば、後に残るは言葉だけ

観客という名前の舞台装置【劇場版少女歌劇レヴュースタァライト感想】

初見の時は新手のルドヴィコ療法かな?と思いながら震えて鑑賞(TV版の時に時計じかけのオレンジのポスターが映り込んでたのは犯行予告だった?)、二回目は終始泣きながら鑑賞、三回目は何かずっと笑いながら鑑賞してしまい未だに自分がこの映画に対して何を考えてるのが全然定まらないのでスタッフ本の為にも四回目見るかぁと思いつつまぁ何とか言葉に出来る部分は言葉にしてみようかと

舞台って怖いですよねぇ。最前列の座席を何回か経験したことがあるんですが、リアクションが直に届いてしまう距離はプロの演者が簡単に影響されたりしないと分かっていても自分のリアクションにある種の責任が生じている感覚になります。本来正面からは見えない俯いた時の表情を覗き込むことが出来る場面でも、本当にこれを見ても良いのだろうかと考えると首が動かせなくなってしまったり。観劇する側の人間にも常に覚悟が要求される種類のコンテンツであると思っています、自分はそれを既に知っていると思っていたんですが



怖い、とにかく怖かった。それは皆殺しのレヴューや競演のレヴューの内容や演出による恐怖でもあるし怨み・狩り・魂のレヴューで見せられた振り幅から先の予想が出来ないことが怖い。見せられてきた回想が”こぼれてく未来”であることがまざまざと分かって恐ろしい。覚悟が足りない、結末が書かれないまま走り出したこのレヴューを見届ける覚悟が。show must go onは舞台の原則、それを見る我々にとっても



幕が上がる。目があった瞬間に全てが分かった―――ような心地だった。足りないまま舞台に向き合わなければならない、最後のセリフは未だ脚本に記されていない恐怖、私たちはあなたの恐れの対象であると同時にあなたの恐怖を映す鏡。舞台を怖さを知り、それでもそこにある美しい光景から未だに目を離せずにいる。物語に干渉し得ない観客は本来一方通行な共感しか持ち得ない。けれどこの近さで今あなたが我々を見つめている間だけは相互に干渉する、舞台装置として機能できる。だから、一足先に燃え落ちてしまったあなたの代わりにこの言葉を


客席ってこんなに近かった?

照明ってこんなに熱かった?

舞台ってこんな怖いところだったの?


”わかります”




極限状態だったこと、映画館が埋まってて最前で見たこと、急にこっちを向かれてビビったことが重なってその瞬間に神降(トランス)しちゃって、脳内に溢れ出した存在しないモノローグ、俺……舞台装置だった……役割があったのかもしれない……。初見の時はここから朦朧としてしまって青空がきれいだったことしか覚えていませんでした…



前段で大仰に書いたけど初めて舞台が怖いなぁと思ったこと、「やがて君になる」の当日券があった日にふらっと行って最前左端引いた結果2-3mの距離でキスシーン見せられる羽目になった時なんですよね。めっちゃ頬が緩んじゃうのをキャストに見られるのめっちゃ嫌~~~推しにオタクスマイル見られたくね~~~って。でも再演あったらまた行くんだろうなぁみたいな。
舞台怖いですけどそこでしか得られないものがあるのでGrowth楽しみだ…(小並)