感情の墓場

一度感情を言葉にしてしまえば、後に残るは言葉だけ

童話と曲から見るリズと青い鳥

 

 すごいものを見ました。この一週間何も出来なかった、そのくらい打ちのめされています。このままでは廃人なので何とかこの作品について言葉を紡ぎたいのですが、ご存知の通りあの映画の中に置いて私達は椅子であり机でありbox fishであるためそれを為すことが出来ずにいました。あの世界の中でどうやって言葉を持とうか考え続けた結果、童話と楽曲の『リズと青い鳥』を通すことでそれが可能であると分かりました。童話を読む間は私は読者であり、曲を聴く間は私は聴衆です。机とか椅子とかでは無いので語る言葉を持ちえます。というわけでサントラ片手に。

 

 

 

 『リズと青い鳥』は4楽章から構成されています。

第一楽章「ありふれた日々」物語の導入です。とても明るく賑やかな街並、湖畔では小鳥が囀り少女と動物たちが戯れるファンタジックな世界が表されているようです。初見の時は両親を亡くし孤独を感じながら一人過ごすリズという前提を考えると明るすぎると感じていましたが、この街の喧騒が却って一人家で眠る時の寂しさを強めているようにも思われます。リズの街での暮らしは一日しか映像として描かれませんが彼女が孤独なのが他者を志向しない/出来ない故に生じているものではなく交流を重ねてもその存在が特別な何かまでは至らないことによって生じているように感じられます。

 第二楽章「新しい家族」訪れる嵐と少女、そして二人の幸せな日々。前半は嵐によって重苦しく響く音色、後半は目覚めを告げる朝日から始まり少女とリズが過ごす様子を現しているようです

 第三楽章「愛ゆえの決断」リズが少女の正体を知り、自分の幸せと少女の幸せを思い最後には別れを告げます。曲の構成として前半の掛け合いは思い悩むリズと少女のやりとり、4:20以降別れを告げるリズのオーボエ、衝撃を受ける少女に合わせて曲が大きく盛り上がりオーボエとフルートの掛け合いで飛び立つことを促すリズとそれを受け入れる少女と繋がっていくように思えます(ここが今回の肝なんですけど音楽への知見の少なさから自信が無いです詳しくは後述)

 第四楽章「遠き空へ」光にあふれる旅立ち、未来、描かれないお話

 第三楽章以外は演奏する様子はありませんが童話パートのBGMとして使われていますから知らずにイメージが出来上がるようになっています

 

 

 劇中で吹部が演奏している『リズと青い鳥』はコンクール用に四楽章が繋げられて短く編曲されています。削られる部分があることは表現(或いは表現の比重)が変わってくということになると思います。近しいけど少し違うこの映画における『リズと青い鳥』。この差が童話と映画自体のリズと少女、みぞれと希美の関係性や物語の差異を語る為のフィルターとして機能すると考えて今回の記事を書きました。楽曲をどのように物語と重ねるかというのは色々なやり方があるかと思います。

 

 作中で実際に演奏されているのは第三楽章になりますからそこを中心に考えていきます。まず直前の第二楽章の後半がなく嵐からいきなりオーボエフルートの掛け合いに移行します。掛け合いの一部が無くなりフルートの存在感が少し小さくなっています。第四楽章への繋がりは大きな変更は無いかと思います。

これを踏まえて楽曲全体を俯瞰すると

ありふれた日々→嵐→新しい日々→逡巡→別れを告げる→未来へ

となっていたものが

ありふれた日々→嵐→別れに至る対話→未来へ 

となります。過ごしてきた日々と決断までの時間経過を作る部分が割愛された結果、二人の掛け合いの部分は過ごしてきた時間を滲ませながらも羽ばたく未来の為に会話を紡いでいく必要性が出てきています。映画全体に一から四楽章が収まっていると考えることも出来るかと思いますがこの4つの要素の中では第三楽章単体がこの映画を表し、それより前の章は中学時代やテレビ二期、第四楽章は映画の後の描かれていない部分という風に符合しているように見えないでしょうか。コンクール用の編曲と上記に基いてリズと青い鳥を解釈しなおすと以下

 

 

 ありふれた日々はリズにとってはただ繰り返すだけの日常かもしれませんが、青い鳥にとってはリズと過ごす大切な日々です。一方にとっては嵐の後が始まりでも、もう一方にとっては曲調の示す通りの明るい日々すでにそこにはあったはずなのです。嵐を超えて少女は初めて(再び)リズと出会います。

 しかし曲の上では平穏な日々は描かれないまま、嵐の不安を忘れる間もなく二人は語らうことになります。ここには思い出すべき穏やかな日々は嵐が訪れる以前のものしかありません。リズが考える戻るべき日、青い鳥をもどしてあげるべき日々は嵐の前にしかない。青い鳥が少女になったことで得たものはあるはずです、愛するリズが特別な存在を見つけ幸せを感じているのだから。それでもリズは少女にとびたつように促し、青い鳥はそれを受け入れるのです。

 

 

 

 こんな考察は普通知識のある人間がやることでトーシロのやわい耳でやるものじゃないんでしょうけど感じてしまったので仕方ないのです。物語を直視すると目が潰れてしまうのでこのような偏光フィルターを使いました。ここの視点が固まったことで色々分かってきたこともあります。例えばオーボエとフルートの掛け合いからオーボエソロのあと編曲によってフルートの存在感が縮小する様は高く飛び立ってしまった鳥の目から地上の人を見るようであるとか。

 ありふれた日々を青い鳥寄りの視点にして気付いたこともあります。みぞれはいつから青い鳥だったのかということです。最初は何もなかったみぞれにとって吹奏楽に誘ってくれた希美がいなければ羽を得ることも無かったわけですよね。いつしかただ飛ぶだけの羽ではなく人に羨まれる青い翼を得ていくわけですが当人はそのことに頓着がないわけです。映画の冒頭で青い羽を拾った希美がみぞれにそれを渡す、みぞれは羽自体の価値に頓着が無いので疑問系でありがとうと言うこの一連のメタファーの使い方に気付いたときは改めて腰をぬかしたり。

 確証の無い一連の考察でしたがコレ自体はともかくこれ切っ掛けに誰かがまた新しい角度からリズと青い鳥を見てくれるようになったらいいなぁと思います(小並)

サントラ買って